欧米で起きた市民革命・産業革命と、それが日本の開国にどうつながったかを学びます。
だいじな考え方
- 1776年のアメリカ独立宣言、1789年のフランス革命は、国王の絶対的な権力に対して、市民が自由と権利を求めて立ち上がった市民革命です。人は生まれながらに権利をもつという考え方が広まりました。
- 18世紀後半、イギリスで機械を使った工場での生産が広まり、産業革命とよばれる社会の大きな変化が起こりました。工業製品が大量に安く作られるようになり、欧米諸国は原料や市場を求めてアジアなどに進出しました。
- 1853年、アメリカのペリーが浦賀に来航し、開国を求めました。1854年の日米和親条約で開国し、1858年の日米修好通商条約では、関税自主権がない、領事裁判権を認めるという、日本に不利な内容が含まれていました。
- 不平等条約への不満や、欧米に対抗できる強い国をつくる必要から、幕府をたおして新しい政治を作ろうとする動きが強まりました。
産業革命で力をつけた欧米諸国が世界に進出する動きの中に、日本の開国も位置づけられる。
やりかた
- できごとが起きた国と年代を確認する
- そのできごとが、どんな考え方や技術の変化から起きたかを確認する
- 欧米での変化が、アジアや日本にどう影響したかをたどる
- 条約の内容が、なぜ日本にとって不利だったかを説明する
れい
問題: 日米修好通商条約が、日本にとって不平等な条約だとされる理由を1つ答えなさい。
- 条約の内容を確認する
- 関税自主権がないと、自国で自由に輸入品の税率を決められない
- 領事裁判権を認めると、外国人の犯罪を日本の法律で裁けない
答え: 日本に関税自主権がなく、また外国人に領事裁判権(治外法権)を認めていたから
つまずきやすいところ
日米和親条約と日米修好通商条約を同じ内容だと混同する
日米和親条約は下田・函館の開港のみ、日米修好通商条約は貿易も認めた、より広い内容の条約
市民革命と産業革命を同じ種類のできごとだと思いこむ
市民革命は政治のしくみを変える革命、産業革命は生産方法を変える技術・経済の変化で、内容がちがう
たしかめ方
- ペリー来航から日米修好通商条約までの流れを、年代の順に自分の言葉で説明できるか確かめる。