織田信長・豊臣秀吉による統一事業と、江戸幕府が全国を支配したしくみを学びます。
だいじな考え方
- 織田信長は、鉄砲を活用した戦い方や楽市・楽座による商業の自由化などで、天下統一への道を進めました。
- 豊臣秀吉は、太閤検地で全国の土地の生産力を測り、刀狩で農民から武器を取り上げました。この2つの政策により、武士と農民の身分がはっきりと分かれる兵農分離が進みました。
- 徳川家康は1600年の関ヶ原の戦いに勝利し、1603年に江戸幕府を開きました。幕府は武家諸法度で大名を統制し、参勤交代で経済的な負担をかけて力を弱めました。
- 江戸幕府は、キリスト教の広がりや貿易の利益が特定の大名に集中することを防ぐため、鎖国とよばれる政策で外国との交流を制限しました。ただし長崎ではオランダ・中国との貿易が続けられました。
幕府が全国の大名を支配できたのは、力で押さえつけるだけでなく、参勤交代のような経済的なしくみを使ったから。
やりかた
- できごとが安土桃山時代か江戸時代かを確認する
- 政策(検地・刀狩・鎖国など)の内容を確認する
- その政策によって、社会や身分がどう変わったかを考える
- 政策の目的(統一・統制・貿易の管理など)を整理する
れい
問題: 太閤検地と刀狩によって、社会にどのような変化が起きましたか。
- 太閤検地の内容(土地の生産力を測る)を確認する
- 刀狩の内容(農民から武器を取り上げる)を確認する
- 武士と農民の身分がはっきり分かれたことを結びつける
答え: 武士と農民の身分がはっきりと区別される兵農分離が進んだ
つまずきやすいところ
鎖国を、外国との関係をすべて断ったことだと誤解する
鎖国中も、長崎の出島でオランダと、対馬藩を通じて朝鮮との交流は続いていた
武家諸法度と参勤交代を別々の制度だと思いこむ
参勤交代は、武家諸法度に追加される形で制度化された、大名統制の具体的な手段の1つ
たしかめ方
- 織田信長・豊臣秀吉・徳川家康それぞれが行った政策を1つずつ挙げ、統一に向けてどうつながっているか説明できるか確かめる。