縄文時代から平安時代まで、日本の国家がどのように形づくられていったかを学びます。
だいじな考え方
- 縄文時代は狩猟・採集の生活でしたが、弥生時代に稲作が伝わると、蓄えた米をめぐって争いが起こり、小さなくにがまとまっていきました。
- 聖徳太子は、家がらではなく能力で役人を選ぶ冠位十二階、役人の心得を示した十七条の憲法を定め、天皇中心の中央集権国家をめざしました。
- 645年、中大兄皇子と中臣鎌足らは、権力をにぎっていた蘇我氏をたおし、大化の改新とよばれる政治改革を始めました。土地と人民を国が直接治める公地公民の考え方が示されました。
- 平安時代には、藤原氏が娘を天皇のきさきとし、生まれた子を天皇にすることで、天皇の外戚として摂政・関白の地位を独占する摂関政治を行いました。
権力のしくみが変わるときには、必ず「それまで力をもっていた者」から「新しく力をもつ者」への移りかわりがある。
やりかた
- できごとが起きた時代(縄文・弥生・古墳・飛鳥・奈良・平安)を確認する
- その改革の前に、だれが力をもっていたかを確認する
- 改革によって、権力がどう移り変わったかを考える
- 改革の目的(中央集権化・天皇の権威づけなど)を整理する
れい
問題: 大化の改新で示された、土地と人民を国が直接治めるという考え方を何といいますか。
- 大化の改新の内容を思い出す
- それまで豪族が土地と人民を私有していたことを確認する
- それを国のものとする考え方の名前を答える
答え: 公地公民
つまずきやすいところ
摂関政治を、藤原氏が武力で天皇の地位をうばったことだと誤解する
摂関政治は、天皇の外戚(親せき)として、摂政・関白の地位について実権をにぎるしくみで、天皇の地位自体は変わらない
冠位十二階と十七条の憲法を同じ内容のものと混同する
冠位十二階は役人を能力で選ぶための制度、十七条の憲法は役人の心構えを示したもので、目的がちがう
たしかめ方
- 縄文から平安までの主なできごとを、年代の古い順に並べ、それぞれの目的を1つずつ言えるか確かめる。