鎌倉幕府と室町幕府という、武士が政治の中心となった二つの時代のしくみと移り変わりを学びます。
だいじな考え方
- 1185年、源頼朝は守護・地頭を設置する権限を朝廷から認められ、1192年には征夷大将軍に任じられて鎌倉幕府を開きました。将軍と御家人は、御恩と奉公という土地を仲立ちにした関係(封建制度)で結ばれていました。
- 鎌倉幕府は元寇(元の襲来)を2度退けましたが、御家人に十分な恩賞をあたえられず、御家人の不満が高まって幕府はおとろえていきました。
- 足利尊氏が京都に開いた室町幕府では、将軍を補佐する管領という役職が置かれました。足利義満は明との勘合貿易を始めています。
- 1467年に始まった応仁の乱によって京都は荒れ果て、幕府の権威は失われ、下の者が上の者を実力でたおす下剋上の風潮が広がる戦国時代へと向かいました。
幕府の力が弱まるきっかけは、多くの場合「御恩(領地や恩賞)を十分にあたえられなくなること」にある。
やりかた
- 幕府や制度が、鎌倉・室町のどちらの時代のものかを確認する
- 将軍と武士(御家人・大名)の結びつきが、どんなしくみで保たれているかを確認する
- 幕府がおとろえた原因(恩賞不足・内部対立など)を考える
- 貿易や文化など、その時代ならではの特色を整理する
れい
問題: 鎌倉幕府が元寇のあと、御家人の不満を高めた理由を説明しなさい。
- 元寇は防衛戦であったことを確認する
- 防衛戦では、新しく得た土地(恩賞にできる土地)がほとんどない
- 御家人に十分な恩賞をあたえられなかった
答え: 元寇は国土を守るための戦いで新しい領地が得られず、御家人に十分な恩賞をあたえられなかったから
つまずきやすいところ
執権と管領を、同じ役職の名前のちがいだけだと思いこむ
執権は鎌倉幕府で将軍を補佐した役職、管領は室町幕府で将軍を補佐した役職で、時代がちがう
御成敗式目を、天皇が定めた法律だと誤解する
御成敗式目は、鎌倉幕府の執権北条泰時が武士のために定めた法律
たしかめ方
- 鎌倉幕府と室町幕府のしくみのちがいを、将軍を補佐する役職の名前もふくめて説明できるか確かめる。